私、パニック障害なんです
自己紹介?プロフィールに書いたとおり私、パニック障害 です
同時に不安障害ももっております
最近では芸能人の告白も多く一般の人も目にする機会が増えたかに思えます
キンプリの岩橋玄樹さんもそうですね
こちとらイケメンとはほど遠いもんですが同じ苦しみを持った人間としては、今後の彼の人生に思いを馳せたりもするわけでございます
さて、上にも書きました不安障害・パニック障害なんですが、2つとも同じものかな〜なんても思っているのですが医者ではないのでよくわかりません
それでもリアルに経験豊富なもんですから理解は深いと思うわけです
発症当時、自分は自分の身に一体何が起こったのか、またこれからどうなるのか、五里霧中の状態でした
ネットは便利ですが意外とピンポイントに自分に起きたことを探すのはとても難しい記憶があります
それでも朧げに答えが見えて来たときは嬉しかったですね
助かったというか光が見えて来たような気がしたのです
今、世の中は180度とまでは言いませんが生活様式は大きく様変わりしました
ストレスはコロナ禍の前と比べ物にならないと思います
表立ってはいませんが、不安障害やパニック障害を発症した方やその予備軍はかなり増えたんじゃないかと思います
そしてそれは苦しんでいる人が多いことを指すと思うのです
そこで過去救われた恩返しも兼ねて私の経験談と対処方、またその予備軍の方が発症しないようにストレスからの解放の手助けをしたいと思っています
ほんと微力ながらですが、一人でも苦しむ人がいなくなればいいなと思います
というわけで、いつもよりは少し真面目モードでございます
突然襲った死の予感
さて、まずは私の発症当時のことを話しましょうか
遡ること数年、2017年の2月のことです
それは仕事中のことでした
午後の二時をまわったくらいです
仕事で少し大きめのトラブルがありまして精神状態はよくありませんでした
イライラと不安が混じった状態です
とにかく落ち着こうとタバコを吸っていたのですが、唐突に言い表せない息苦しさに襲われました
二吸い程度のタバコをもみ消すと今度は強い眩暈で座っているのもしんどくなりました
と同時に体がとんでもなく熱く感じました
その日はとても寒かったのですが、Tシャツになり社外に逃げ出すほどです
その間も眩暈、呼吸困難は続きました
今までに経験したことのない苦しさや身体症状に文字通りパニックとなります
ただひたすら『ヤバい、死ぬ』が頭をめぐりました
異常察した同僚が救急車を呼び病院にいくのですが、検査の結果は【異常なし】
一応、眩暈止めの点滴をうち様子見て帰宅となりました
その時の担当の医師の冷たさは今でもよく覚えてますね〜
「こんなことでくんじゃね〜よw」
いや、まじこんな感じよ?(遠い目)
まあ、異常なしで検査入院すらしないんだからそうなんでしょうけども!
こっちはもうホント死ぬんじゃね〜かって苦しんだんですがね!
とはいえ、異常なしということで一安心はしたので、『なんだったんだろうね〜』なんて帰りの車内で話していたんですが、内心はなんかやばいことになっているんじゃないかと震えたもんでした
これが一番最初のパニック発作でした
謎の身体症状で医者通い
入院もなく状態も落ち着いたので翌日は出社したのですが、恐怖というか変な違和感を抱えたままでした
とりあえずめまい薬は常備したままだったのですが、午後になるとゾワゾワとした感じや体温上昇を感じあせりが募ります
その度、トイレに駆け込んではしばらくうずくまる毎日が続きました
夜も軽い不眠だし、食事はほんとに砂のように味もなく喉を通りませんでした
地獄のような...とは誇張でもなんでもありません
そんな毎日ですから絶対に異常があると思うのも無理はありません
そこで繰り返したのがいわゆる ドクターショッピング でした
原因を見つけるために様々な医療機関を訪ねることをいいます
私は内科、耳鼻科、循環器科、果ては更年期を疑って泌尿器科までいったのです
もちろん結果はすべて問題なしでした
途中で精神科を勧められましたが、現実に身体症状が出ているのでとても信じられないし、むしろ不愉快に感じたものです
どうして信じてもらえないのか
自分はどうしたらいいのか
自問自答の日々が続きますが、もちろん答えはみつかりません
ついに限界が訪れた
そんなこんなで20日間が過ぎた頃です
綱渡りのような生活が続きましたが大きな発作もなく、また、原因もわからず過ごしていました
不意に体が軽い日がありました
その日は保育園の卒業式でした
前日までは不安でしたが不思議な軽さもあり、式後に友人宅に呑みにいくことになりました
珍しく自分からの誘いです
今思えば躁転していたのかな
楽しく呑み始めたかと思えば急転直下、あの日のような発作に襲われました
『今すぐにでもこの場から逃げたい』
大至急嫁ちゃんに迎えを頼み逃げ帰ることになりました
そして家で一息ついた時、娘の卒業DVDを見た瞬間、第二波に襲われ床に逃げ込んだのです
もう苦しくて苦しくて、今度こそ死ぬんじゃないかと不安に駆られました
一日に、それも短時間に2回の発作です
絶望感しかありませんでした
翌朝はより一層深刻です
おそらくほとんど表情はなかったんじゃないでしょうか
食事も家族の会話も、音、光すら苦痛に感じました
ただ仕事に行こうと出勤はしたのですが、そんな状態耐えられるはずもなく、30分もせずに早退することになります
『…もう俺はだめなんじゃないか?』
もう真っ暗です
どうしていいのか、何もかもがわかりません
この20日間の間に病院には3回行きました
どんな検査もすべて『異常なし』です
しかし実際にはとんでもない苦痛や激しい動機、呼吸困難、めまいなど、確実に症状はあるのです
もう頭がおかしくなりそうでした
そして帰宅した嫁ちゃんに抱きついて大泣きしました
大の大人が、ちょいごつめの私がわんわん泣きました
一頻り泣いた私はふと思うのです
『おかしいのは心なんじゃないか』
一筋の光が指したような気がしました
人生初のメンタルクリニック
翌朝は会社を休み、すぐ見てもらえるメンタルクリニックを探しました
殆どが予約制のためなかなかみつからなく、隣町に午後なら診れるとのことで予約を入れました
今でも忘れることはできません
やつれた状態でなんの感情もなくTVを眺めていました
バイキングだと思います
銚子の町の特集をやっていました
『もう旅行とかいけないのかな。いや、絶対治してこの場所に行こう』
きっとこの瞬間に闘病が始まったのだと思います
そして診察を受け症状を説明しました
『本当に辛かったでしょう、頑張りましたね』
そしてパニック障害と不安障害という説明をうけました
涙がポロポロと溢れてきました
やっとわかってもらえた、私はやっぱり病気だったんだ、やっと苦しみから解放される、ゴチャ混ぜになった感情が涙として溢れてくるのです
そして今後の方針の説明を受けました
私は一番軽い薬から様子を見る選択をしました
強い薬には抵抗があったからです
薬をもらい、帰宅し嫁ちゃんに説明し、決意表明をしました
『絶対に治してみせるから』、と
こうして私の闘病生活が始まりました
次回は、パニック障害の劇症期 について書きたいと思います
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